荼毘ふたたび
昨日、日が暮れかかってようやく気温も下がり、コーヒーでも飲もうかと自転車で外に出ると、お寺がある辺りでバーン、バーン、バンッ!と花火があがりました。ああ、荼毘(だび)に点火されたんだなと、“葬儀ライター”の私にはすぐにわかりました。
カフェを出たのが7時半ごろ。通り道だったのでお寺に寄ってみました。カンボジア語で「メェン」と呼ばれる構造物の中に棺が収まって、いままさに荼毘に付されている最中でしたが、不思議なことに人っこひとりいなかったのです。以前見たときには、傍らにテントを張って、親族の人たちが見守っていました。
ただ、親族の姿は見かけませんでしたが、葬儀社の若い衆が5,6人、火の番をしていました。ときどき薪をくべたり、棺の箱から煙が噴き出てくるところを泥でふさいだりしていました。
様子を見に上がる若い衆に、上がってもいいかと手ぶりで聞くといいよ、という返事で、さっそく棺の置いてある棚のところまで、赤い絨毯が敷いてある階段を上がってみました。
この箱はどうやら鉄でできているようです。慢性鼻炎で嗅覚の鈍っている私は気になりませんでしたが、ほんとうはかなり強烈な臭いがするはずです。若い衆の仕事もたいへんだなと思いました。話しかけても誰一人英語が通じなかったのですが、どうやら明朝4時まで焼きつづけるようです。彼らの仕事は、こうやって真夜中に天に還って行く魂をじっと見続けることなのでしょう。
当地ではトゥクトゥクの運転手もほとんどみな英語を話し、私よりうまい人はいくらもいます。それでなければお客さんが拾えないからです。考えてみれば、葬儀社で働く彼らが英語を必要としないのも当然でしょう。貴賤がないとはいいつつも、おそらくは“最底辺”の職業に従事しているであろう、10代20代と思われる、彼らのひとなつっこい笑顔が印象に残りました。