プーシーの丘

街の中心部にプーシーの丘という、150m(海抜700m)ほどの小高い丘があって、そこに登るとルアン・プラバンの街が一望できます。ルアン・プラバンは、メコン河とその支流であるナムカーン川に挟まれた、半島のような地形になっていて、中心部は徒歩で十分にまわれる小さな街です。



どうやら丘の上からメコンに沈む夕日を見るのが、観光客のお目当てのようですが、今日は雲がかかっていて、それはかないませんでした。


反対側がナムカーン川の光景。なんだかヨーロッパの地方都市のような風情ですが、よく見ると川の色が違いますね。この赤茶けた土の色は、まぎれもなくアジアの川です。


丘の頂に燦然と輝くのが、タート・チョムシー。えっ、これってもしかして金箔?

実はこれらの写真を、LINEをやっている何人かの友人に現場から送ったのですが、その中で絵描きをやっているある人から「アジアの色ですね」という返信がきました。なるほどね、と思ったのですが、イヤ待てよ。私は最近になって、これらのアジアの地域で使われている寺院建築の色は、まさしく“極楽の色”ではないかと思うようになっているのです。

思えば日本の社寺建築に類するものは、どうしてあんなに暗い色をしているのでしょう?建立当時は極彩色に燦然と輝いていたという話も聞きますが、少なくとも現在古寺巡礼をする限り、どこもかしこもドブネズミ色をしているではありませんか?死後の世界がこんな色ではますます行きたくなくなりません?




そこへ行くと、アジアの寺々は、明るく眩しく煌びやかに、衆生の民をこの世の極楽に誘い込んでいくようではありませんか。こういう黄金色こそ、やがては訪れたい極楽の色ではないかと、民は憧れ、ひざまづき、お布施を出して祈りをささげるのではないでしょうか?


これは棺。徳を積んだ高僧が葬られるときには、こんなに華やかな棺桶に入れられて、メコンの流れに浮かべられるのでしょう。“極楽色”の船に乗って、粛々と“極楽”へと旅立ってゆくのでしょうね。

と、私がそんな風に思うのも最近で、これこそが古来貧しかったアジアの人々の、自らの食を削ってでも喜捨を忘れず、来世こそはより豊かにと、願い崇める憧れの色ではなかったかという気がするのです。