Karaoke Road

世の中いいことばかりではないのが常です。まったく。

マンゴーハウスを契約したのは5日でした。それまで住んでいたアパートも、すでに家賃は払ってあったので、何回かに分けて、ぼちぼちと片付けながら、最後に引っ越したのが14日でした。それまで何度も行ってはせっせと掃除に励んでいたのですが、泊ったことはありませんでした。

最初に泊ったのが14日です。それがもうびっくり仰天、涙がこぼれそうになりました。100mくらい離れたところにカラオケがあるのはわかっていましたが、なんと、1軒だけではなかったのです。私の部屋をはさんでL字型の道路に、少なくとも5,6軒はあるようで、大家の娘さんがいうには、このあたりは Karaoke Road と呼ばれているとか。

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カラオケという場所は、日本で行ったこともなく、私も軽く考えていたのですが、こちらのカラオケはオープンスペースで営業するので、外部に響き渡るその音量たるや、凄まじいものがあるのです。セイハーもこちらに長いのだから、それくらいのことはわかっていたはずなのに、自分はこの程度なら気にならない、マミィー(彼は私のことをこう呼ぶ。以前はばあちゃんと呼んでいたけど、さすがにそれは止めさせた。ちなみに彼の母親は私より10歳以上若い)は年寄りだから気になるのでしょう、と平然とのたまうのです。

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寝るときにクーラーをつけたままで平気な人は、窓を閉め切ってクーラーをつければその音でカラオケの音はかき消されてしまうのですが、私は扇風機すら苦手で、夜は窓を開け放ち、蚊帳を吊って寝るのが私流なのです。

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その上、私は深夜に枕元で針一本落ちる音でも目を覚ますくらい、特別に音に敏感な人間なので、若い頃から、これはもう耐え続ける自信がありません。この先毎日のことですから。しかし、この住所ですでに商務省に登録を申請していて、それを変更するのは大変なことです。それに2年契約で、お金もそれなりに支払っています。今さらどうしようもありません。

ということで、初日の夜から相当に落ち込んでいるのですが、とにかく当分の間はここで何とかしのぐしかありません。窓に貼る防音資材をまずは探すことにします。プノンペンにまで行けば何かありそうです。なければ、日本に帰った時に少しずつ持ち運びます。

昼間はほんとうに静かなところです。近所に空き地が多く、古の森の姿をよく残している大樹の木陰もたくさんあります。すぐ隣は小さな畑で、バナナやマンゴーが茂っています。ときどき野鳥のさえずりも聞こえ、そして犬がワラワラいます。少々辺鄙ですが、そこそこの高級住宅街で、1軒の敷地がとても広い豪邸が並んでいるため、みな番犬として複数匹飼っているのです。2軒隣のお宅は5匹ほど飼っています。

でも、もともとペット犬じゃないから、私が通りかかるだけで、ものすごく吠えるのです。可愛げがありません。こちらからちょっと威嚇の態度をとると、いっせいに尻尾下げて逃げて行きますが。

ということで、憧れだったマンゴーハウスは前途多難の船出となりましたが、なんの、これしき。これまでひとりで越えてきた艱難辛苦をつれづれ思い起こしつつ、対抗策を考えているところです。

 

 

マンゴーツリー ハウス

カンボジアに住もうと思い始めた当初から、いつかマンゴーツリーがある家に住みたいなぁと思っていました。しかし、まさかこんなに早く、それが実現するとは思ってもいませんでした。

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旅行業登録をするのには、まず事務所が必要で、それが決まらないと登録ができません。しかし、そもそも“我が社”には独立した事務所などは必要ないので、住居と一体化した物件を探していました。こちらでは、不動産屋というのは、土地やマンションの売買だけのようで、賃貸の場合、一般的には建物の前に「FOR RENT」という貼り紙がしてあるのを見つけて、直接大家さんに連絡をとるやり方のようです。セイハーもすでに私の意図を知っているので、しばらく前に、マンゴーハウスが見つかったよといって、バイクで連れていってくれました。中心部からやや離れていますが、シェムリアップ川畔まで歩ける距離です。

1軒の建物が3つに分かれていて、左端に大家さんが住んでいます。真ん中には中国人の家族が住んでいるようです。

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その右端の部屋が空いていて、なんと、その前には、マンゴーツリーがあるのです。ここの大家さんの所有です。

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これがマンゴーの花です。当事者以外、誰もわからないですよね。ほんとうに地味な花です。

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なぜか、すでに実を付けている株が3つほどありました。カンボジアのマンゴーは、私たちが高級フルーツショップで時々目にする20センチくらいもある大きなマンゴーとは別品種で、10センチくらいと小ぶりです。味の方は遜色はないと思いますが、タイやフィリピンの物と比べると、やや糖度が落ちるかもしれません。しかし、プランテーション農業で育てられた立派なマンゴーより、オーガニックであることは間違いありません。なんだか“勝手になってる”マンゴーがほとんどだそうです。

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これが1階の事務所スペース。事務所はいらないけれど、宴会でも会議でもなんでもできそうな広々としたスペースです。

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1階に一つ、2階に3つベッドルームがあって、それぞれにシャワー・トイレルームもついています。Panasonic のクーラーも完備。2階にもリビングがあって、ベランダもとても広いです。まるで、ゲストハウスをやってください、といわんばかりの造りなのです。

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キッチンも広々、冷蔵庫とプロパンガスも購入しました。自炊体制は万全です。これからはしっかりと食事をとって、体調管理をきちんとしないといけません。これまではつい面倒で、ビールとばりばりお菓子系のものばかりかじってましたから、体力が衰えるのは当然です。

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2階のベランダから。実はこの向かいの家も同じ大家さんのものらしく、なんでそんなに金持ちなんだろうと思ったら、彼はかなり上級の公務員だったようで、この部屋の玄関扉の上に、フンセンと一緒に写った写真が何枚か飾ってありました。そのうち外したいね、とセイハーとも言っているのですが、まあしばらくはそのままで。

で、商務省の方には登録を済ませたところです。旅行業登録はなかなか大変で、現在プノンペンに回っている申請書の審査があって、その後に観光省、税務省へも登録しなければなりません。そもそも公文書はクメール語だし、まったく手も足も出ないので、専門業者の方に代行をお願いしてありますので、ひたすらぼんやりと待つだけです。

その間に、ウチのマンゴーが実をつけて少しずつ少しずつ大きくなってゆくのを、2階のベランダからゆっくり眺めてゆくことにしましょう。

 

チョン・クニア

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プノン・クロムの麓に広がる漁師村に行ってきました。暮らしている人たちは、ほとんどがベトナム人です。上の写真は、去年の11月に丘の中腹から撮ったもので、現在はずっと水位が下がっています。

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車を降りて一歩踏み出すと、眩暈がしそうな陽ざしと漁場の濃厚な雰囲気が襲いかかってきます。潮の匂いがない分、むしろ強烈な魚の匂いそのものになぎ倒されそうになりました。

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ここはコンポン・プルックの高床式ではなく、筏やドラム缶の上に建てられたフローティングハウスになっているようです。

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小舟には魚がぎっしり。豊かな漁場だなと思いました。実際、トンレサップ湖は、世界一生息する魚の種類が多い湖だそうです。

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この陽ざしなら、1日で干物ができますね。

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ビリアード場がありました。

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しっかりヒナを抱いていたお母さん。しかし暑くないんでしょうか?

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当地では滅多に見ない長毛犬。しかし、超汚れてましたねぇ。

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工事をしていたので、これは何かと聞いてみると、これから学校を作るところだといっていました。この船の上に教室が建てられるのだそうです。現在小学校があるところまでは遠いので、おそらく近辺の子どもたちは学校に行ってないのでしょう。早く完成して、子どもたちの笑顔が見られるようになるといいですね。

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凧を揚げる少年。学校ができて、子どもたちの夢も、この凧のように空高く揚がって行く日がやってくるのを祈るばかりです。

 

ベン・メリア-悠久なる廃墟

プノン・クーレンから南東の方角に1時間ほど車を走らせると、ベン・メリア遺跡に到着します。ここはよく、スタジオジブリの『天空の城ラピュタ』のモデルとなったところだなどと書かれていて、私が最初に行った時、ガイドさんもそういっていました。それでちょっと調べてみたのですが、この映画が公開されたのは1986年です。ということは、パリ和平会議が開かれる前ということで、当時このあたりは地雷の海だったはずです。そもそも一般人が入国できる状況ではありませんでした。

誰が最初に口にしたのかわかりませんが、言われてみれば、そういう雰囲気に包まれていることは確かです。アンコールワット、トムを別にすれば、やはりここは日本人には一番人気の遺跡でしょう。

私たちが着いたのはもう4時くらいで、あたりはすでに日暮れが近く、観光客の姿もまばらでしたが、それでも出会った人たちのほぼ80%が日本人でした。

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ここはアンコールワットよりも前に造られたようですが、形式が非常によく似ており、“東のアンコールワット”とも呼ばれているそうです。一部建造物とレリーフなど残ってはいますが、ほぼ全体が「廃墟」です。巨大地震の後みたいな崩れ方ですが、近くにある他の遺跡で原型をとどめているものも多いのに、ここだけがなぜこれほどまで激しく崩壊してしまったのかナゾです。ネットで探っても出てきません。

プノン・クーレンの麓にある砂岩の石切り場から切り出しているそうですが、砂岩は柔らかそうだし、経年劣化が激しいのでしょうか?古の武器ならば、戦闘による破壊とは考えられないし、クメールルージュの時代にしては、石はすでに苔むし、雨水に削られ、長い長い時間が経過していそうです。クメールの王や民たちは、いつどんな思いでこの城(寺)を放棄したのでしょうか?

などということもぼんやり考えながら、廃墟を巡っていると、悠久の時間と刹那とが入り混じって、なんとも不思議な世界に引き込まれてゆきます。

ただし、ここもシーズンと時間帯によっては観光客が列をなし、悠久どころじゃなくなるので、せめて朝一番の時間帯か、今回のように、夕暮れも近くなってから行くことをお勧めします。

ちなみにここは、アンコール共通チケットとは別で、5ドルの入場料が必要です。アンコールチケットはいりません。

 

Happy new year!

あけましておめでとうございます。

常夏の国では、どうしても歳末気分にひたれなかったのですが、ここ数日来涼しい日が続き、30℃をかなり下回ったようです。カンボジアの正月は4月ですが、外国人観光客、定住者が多いこの街では、どうやら年越しも年中行事化しつつあるようです。

大みそかなので、おいしいものでも食べようと、食事に行くことは滅多にない、PUB STREET へセイハーと出かけました。午後7時です。

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ところがすでにしてものすごい人出で、バイクを停めるところを探すのに大変。いつもならタダのところに1ドルを払って停めました。

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Pub Street は、シェムリアップ最大の繁華街で、飲食店、土産物屋、マッサージ店などがひしめき合っています。どこも観光客がターゲットですから、値段は高く、普段は一般のカンボジア人のお客さんの姿を見るのはあまり多くありません。しかし最近は、ここで行われるカウントダウンが呼び物になって、それを見るために地元の人たちも大勢繰り出しているようです。

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この RED PIANO というが有名店で、ガイドブックにも必ず出てきます。今夜は奮発してここにしようと思ったら、席待ちの人が行列を作っているありさまで、2階から写真だけ撮って外に出ました。

ところが、その先も行く店行く店がすべて予約で満席になっており、年越し5時間前に来ていては遅かったと思い知らされました。 

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ようやく見つけた、この界隈では稀なローカル店に入ってリブステーキやらエビやイカなんかをつまみにビールを飲んで、この1年のお互いの苦労をねぎらい合いました。しかしセイハーは、やはり両親の病気の問題があって、なかなか新年を祝う気分にもなれそうにないようです。手術を受けさせたくとも、お金がないのでどうしようもないというのです。来年は2人で協力し合って、旅行業で儲けようねと励ますしかありませんでした。

食べ終わって、どうしたいか聞いてみると、もう部屋に戻りたいというので、私も一緒に帰りました。カウントダウンの狂騒はちょっと見てみたいところはあったのですが。。

で、いったん部屋に帰って、再びビールを買いに外に出たら、やっぱりキラキラネオンに惹かれて、ついふらふらと夜のお散歩をしてしまったのです。1時間ほど。以下、スマホのカメラで写りが悪いですが、街のイルミネーションです。

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日本人御用達の有名な、ソカ・アンコール。プノンペンのメコン河の写真に写っているクリーム色のリゾートホテルと同系列です。

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シェムリアップ川の畔もイルミネーションで彩られていました。

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最近できたおしゃれなショッピングモール。

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公園に設えられたステージでは、ローカルな歌と踊りが。お客さんはほぼすべて現地の人たち。

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屋台がずらりと並び、どこも家族連れや若いグループで賑わっていました。

でもいったい、いつからこんな西洋の暦の習慣が、ここクメールの地にまで“進攻”してきたのでしょうか?

 

プノン・クーレン mountain 

私が以前、とんでもない間違いをしていたプノン・クーレン聖山に行ってきました。セイハーと、道をよく知っている彼の友人と3人です。

https://blog.hatena.ne.jp/natsume2018/natsume2018.hatenablog.com/edit?entry=10257846132667016141

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街中からアンコールワットを左手にして東北方向に1時間半ほどで登山道の入り口に着きます。そこから未舗装の道を20分ほど登ってゆくと、観光地によくある土産物街に出て、その入り口で車を駐車させます。日曜日だったせいなのでしょう、けっこうな賑わいでしたが、観光バスは停まっていませんでした。見かける人たちもほぼカンボジアの人たちで、どうやらここにあるお寺にお参りに来ているようです。

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途中の川床にはヒンドゥー教のリンガなどの彫刻が見られます。この水はこの山一帯を水源として、トンレサップ湖まで流れ着きます。

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これは聖なる泉で、地下からボコボコと水が溢れ出てきていました。それを瓶に詰めて持ち帰る人の姿も見られました。

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ちょっとびっくりしたのですが、セイハーは敬虔な仏教徒だったらしく、水を汲んで、傍らの仏様に一心に祈っていました。ご両親の健康状態があまりよくないので、快癒をお願いしていたのだと思います。

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これが、カンボジアの正統な祈りのスタイル、美しい形だと思います。

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頂上にあるお寺の山門。

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お供えの蓮の花。花びらが折ってあって、私は最初は造花かしらと思ったのですが、生花でした。まだ蕾の花びらを無理やり開いて折ってゆくようです。一束で60円ほど。

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一番高いところにあったお堂の涅槃仏。セイハーはここでも一心に祈っていました。お坊さんに占いもやってもらっていました。日本の若者とはちょっと雰囲気が違うなぁという感じでした。

日本人も、まさにこれを書いているあと数時間後に、お寺参りや初詣に行くのでしょうが、それらはあくまで非日常の祈りであって、ひとりのカンボジア青年のふるまいの中に見えたのは、日常習慣の中にすでに深く染みついた祈りの姿でした。まさに、歴史と文化の違いでしょうね。

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祈りのゾーンから少し離れた場所に、レジャーのゾーンがあって、こちらは水着姿の子ども連れなどで大賑わいでした。外国人観光客の姿もちらほら。貸し床や貸し浮き輪、貸し更衣ルームなどもあり、日本の海水浴場と同じ雰囲気で、これは家族連れで一日を潰すには絶好の場所でしょう。ちなみに、外国人は20ドルの入場料(山全体で)が必要ですが、カンボジア人はタダです。

ということで、なんだかクメール王朝の歴史の重みを感じるにはやや期待外れだったのですが、クメールの人々の敬虔な祈りの姿と、健全なレジャーのかたちを一緒になって堪能するには絶好の場所かと思います。

 

カンボジア中古車事情

こんなに長くプノンペンに滞在したひとつの理由は、実は中古車を購入することだったのです。旅行代理店をやろうとしているのですから、車は必需品です。シェムリアップでも買えますが、なにしろ、当地での中古車の購入はバクチみたいなものと言われているので、せめて、知り合いから紹介された信頼のおけるディーラーさんにお願いしておきました。

そして、そして、とにかくカンボジアの車は、新車中古車によらず高いのです。私も当初事情を知らず、びっくりしました。な、な、なんとっ!輸入関税が137.6%もかかるのです。つまり日本で買う金額の2倍以上ということになります。

私も中国が長かったので、最後に自分で車を買ったのは、20年ほど前ですが、いすゞのビッグホーンという車で、200万円はしなかったと思います。新車です。それが例えばトヨタランクルだと1000万、レクサスの最新車は2000万くらいするらしいのです。いったい誰が買うのかと思うのですが、とにかくレクサスが最も多く、街中をビュンビュン走っています。ただし、中古車が8割以上だそうです。

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また、カンボジアでは、右ハンドル車は走行できないので、輸入車のほとんどは、TOYOTA AMERICA で製造されたものです。中古車はオーストラリアからも来るようです。で、問題なのは、日本のような車検制度がないアメリカからやってくる中古車は、ほとんどが事故車で、走行距離も10万マイルならいい方で、つまり20万キロくらい走った車もザラなんだそうです。それを聞いて途方にも暮れたのですが、もちろん新車を買う余裕もなく、所得がないのでローンもくめず、やむなく一大決意をして、10万マイル走行のToyota highlander 7人乗りを、200万ほどで買いました。

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外国人の車の購入、所有はいろいろ面倒なことが多いので、セイハーの名義にしました。買うまではいろいろ贅沢な要求が多かった彼も、晴れてオーナーになったので、ニコニコです。夢にまで見た自動車のオーナーに突然なれたわけですから。

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翌日登記所に行って、420ドル払って登記を済ませ、いよいよ私たちの車になりました。私はまだインターナショナルライセンスを取ってないので、しばらくは運転しませんが、次回帰国して取ってきたら、やっぱり遠出したいですね。もともと運転大好き人間ですから。

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初めての給油。ガソリンは1L1ドル、日本とあまり変わりません。49L入りました。

そして今日、503ドルで保険も入りました。やはりこの先、お客さんを乗せて走ることが多いわけですし、万一何かがあっても、セイハーに補償能力はないわけですから。

これでようやく自分の部屋に帰れます。長い滞在でしたが、他にすることもなく、おかげでのんびりできました。それでは、シェムリアップからまた。

 

 

おすすめの OneStop Hostel ふたたび

いろいろ用事があって、すでに5日ほどプノンペンにいます。プノンペンでは私の常宿となってしまった、 OneStop Hostel にいるのですが、今回はあまり外に出ることがなく、ゴロっとしている時間が長いので、勢い“ウォッチング体勢”に入っています。ふつうのホテルなら部屋に籠って、他のお客さんと口をきくこともないのですが、なにしろここは8人部屋で、ギリシア、オランダ、タイ、マレーシア、フランス、ドイツ、韓国、中国、日本。。。と国際色豊かです。

しかし、部屋の中は基本的に寝るだけで、昼間はほぼ空っぽになるのですが、井戸端会議に熱がこもるのは、外にある喫煙所です。日本ではめっきりタバコを吸う人が減りましたが、ここはまだまだ“健在”で、興味深い話がいろいろ聞けました。

シンガポールから来た若い女性は日本に3回も行ったことがあって、名古屋の味噌カツとひつまぶしが大好きだとか、ベニスから来た空手有段者の元ゴンドリエは、世界中を駆け巡っているのですが、最後のあこがれの地は日本だとか、30キロの荷物を背負って一人旅を続けるドイツから来た女性は、2年以上国に帰っていないとか、重慶から来た30代の女性は、半年間バンコクにムエタイの修行に行く途中である、などなど。。。

かと思えば、夜道で美女にすり寄られ、財布をスラれたけれど、追いかけて羽交い絞めにして無事取り返したという日本青年もいました(後で聞いたら、元警察官)。彼はこの先1年くらいをかけて世界一周の予定だそうです。私もセイハーにうるさいほど注意されるのですが、夜のプノンペンはさながらかつての魔都上海を倣うかのごとく、危険がいっぱいのようです。

その見本のような興味深い話を聞かせてくれたのは、中国湖南省からやってきた40代の男性で、彼は1日の半分くらいをこの“喫煙所”で過ごしているようです。これまでやっていた商売があまり先が見えないので、新しい儲け話を求めてやって来たのですが、もう凄まじい競争社会で、とても太刀打ちできないというのです。

プノンペンで不動産を扱いたかったらしいのですが、すでにあっちでもこっちでも先来の中国人が買い占めて、どんどん値が吊り上げられ、もうカンボジア庶民では手が出ないだろうといっていました。その裏側では殺傷沙汰は日常で、毎日ひとりは殺されていると、生々しい写真まで見せてくれるのです。中国大使館に連絡してもいっさい相手にされず、そもそも電話にも出ない、と彼は言っていました。

これがどこまで本当かはともかく、街を歩いていても、中国語の氾濫が目につくのは事実です。シェムリアップでも、つい最近までクメール文字だったホテルが、買収されて中国語に変わり、出入りするお客さんの顔ぶれが変わったというのは、私もすでに何回か見ています。

この先どれくらいここにいるのかと聞いてみたら、わからない、ビザは1年ある、とかいってました。1日6ドルですから、1年いたとしても、彼らにはたいした金額にはなりません。

そうそう、ここで出会った美容師の技術を持つ日本女性は、これまでは台湾、その前は上海、その前はドイツと、腕一本で世界を股に掛けているという凄い人でした。運が良ければ、こういう人にも出会えるかも知れません。

というように、いろいろ興味深い話も聞け、ユニークな人にも会え、のんびりじっくり自らの人生を顧み、未来を探索するには、いいところではないかと思います。もっともある程度の言葉は必要です。若い人たちはせめて英語くらいは頑張って下さいね。

ぜんぜん話飛びますが、ホテルから15分ほど歩くと、目の前のトンレサップ川がメコン河に合流します。そこになんだかよくわからない寺があって、昨夜ぶらぶら行ってみたらものすごい人出でごった返していました。

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この水をもらって、顔や頭に振りかけていました。私ももらいました。

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ココナツの中に入れられた蓮の花。この量がまた半端じゃなくて、お堂の裏に小山のように積み上げられていました。

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この楽器は、お寺には必ずあって、必ず男性が弾いています。

ホテルに帰って、いったい何の祭りなのかと聞いてみたら、答えは「祭りじゃないですよ、毎晩のことです。」ということでした。

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トゥールスレン虐殺博物館-人はなぜ人を殺すのか?

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今回の高校生たちの旅の最後に訪れたのがトゥールスレン ジェノサイドミュージアムでした。

この博物館の展示を見てゆくことは、人としてとても辛いことなので、時には耐え難く、具合が悪くなってしまう人も出てくるようです。無理をしないように、ホテルから5分のところに宿をとって、“退避”するための部屋も用意しました。実際に、それほど凄惨な写真が多く、音声ガイドの中でもたびたび注意が喚起されます。博物館側は、過去に起こったことの事実を、しっかりと後世に伝えなければならない、というコンセプトに徹しているのだと思います。

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ここはかつて高等学校の校舎でした。本来収容所に名前はなく、S21(シークレット21)という番号で呼ばれていましたが、後に、地名をとってトゥールスレンと呼ばれるようになったものです。

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最初に訪れるのが尋問室棟。左手の写真は、1979年にベトナム軍によってこの施設が発見された時、記録として直後の状況が撮影されたものです。各部屋にそれぞれ1枚の写真が掲げてあります。

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ベッドの上にあるのは排せつのための弾薬箱。この箱を開けるにはちょっとした技術が必要で、それを簡単に開けてしまうと、それだけで不審者の烙印が押されました。

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クメール・ルージュが逃亡するときに、残っていた収容者はことごとく惨殺されて、屍は放置されました。その異臭によって、ここが発見されたそうです。その最後の名もなき14人の墓が、施設に入ってすぐの場所にあります。

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館内に掲示された無数の無辜の民の絶望に彩られた顔写真と向き合うことは、この施設の中で、最も見る者の精神力を必要とすることではないかと思っています。すべての収容者は写真を撮られ、尋問を受け、その多くは拷問の苦しみから逃れるために、CIAのスパイである、ベトナムの指令であるという“自白書”に署名し、ようやく苦しみから解放された後にキリングフィールドに連行されて殺害されたのです。

彼らの眼差しに見つめられて部屋の中に立ち尽くすと、「人はなぜ人を殺すのか?」という根源的な問いに行き着かざるを得ません。

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独房。たたみ1畳あるかないかの狭さです。

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拷問の辛さに収容者が飛び降り自殺をはかるのを防止するために張られた鉄条網。

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1975年、ロン・ノル政権が崩壊し、クメール・ルージュがプノンペンに入城した時、民衆は歓呼の声で彼らを迎え入れたのです。手を打って喜ぶ子どもたちの姿を見ると、ほんとうに胸が痛みます。

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16000~20000人ほどが収容されていたようですが、現在確認されている生存者はわずか12名です。それぞれが手に技術を持っており、タイプライターが修理できる、建築技術がある、絵が描けるといった人たちでした。このうちの2人の生存者の方が、この日は施設の庭で、自らの経験を記した本を売っていました。

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施設の中でも有名な、そしてもっとも私の心を打つ写真です。彼女はクメール・ルージュの若い幹部のひとりと恋仲で、膨大な量の尋問調書も残されています。後に彼女も、その恋人も別々の場所で殺害されました。

唇をきつく結んで前方をみつめる彼女の瞳に絶望は読み取れません。自分は生きて収容所を出られるという希望を持っていたのでしょうか?あるいは、彼女の揺るぎなきまでの冷徹なプライドを支えたのは、“愛の力”だったのかも知れません。
 

チュンエク キリングフィールド

プレダック村に行った翌日、再び Giant ibis に乗ってプノンペンに戻りました。シェムリアップに入ってプノンペンから出るフライトがいいのですが、今回は取れなかったそうです。もちろん高い切符ならあったでしょうが。

宿泊をトゥールスレンから歩いて5分のところに取りました。最後の2日間は生徒たちには精神的にハードな2日間になりますが、日本を出る前にいろいろ勉強会もしているらしいので、しっかりと自分の目で見て欲しいと思います。

チュンエク村まではトゥクトゥク3台で向かいました。往復で1台16ドル、中心部から15キロほど、20分くらいで着きます。中を見ている間は待っていてくれるので、待ち料金を考えれば本当に安いです。

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入り口で6ドルの入場料を払うと、日本語の音声ガイドを貸してくれます。これはとてもよくまとめられていて、それを聞きながら番号順に廻ってゆくと1時間半ほどかかります。

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ここはもともと中国人の集団墓地だったようで、私には見慣れた中国式の土饅頭形の墓が何か所かに見られました。この墓は、時間とともに削り取られて小さくなってゆくのですが、割合に大きかったので、あの当時も使われていたということでしょう。

ところどころに窪みが残っていますが、これらは、処刑された人々の遺体が数百単位で掘り起こされた痕です。

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施設の中にかなり大きな池があるのですが、池の底にはまだ大量の遺体が残っているそうです。慰霊塔の方にもう安置する場所がないために、あえて掘り起こすことなく、そのままの状態にしてあるそうです。ここを訪れるのは、西欧系の若い人たちが圧倒的に多いのですが、みな沈黙したままうつむいて池の周りを歩きます。ところどころにベンチがあるのですが、そこに座っている人たちも誰も口を開きません。私がここを訪れたのは3回目ですが、池の周りで人が語り合う声を聞いたことがないのです。

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この囲われた穴の中からも数百体の遺体が掘り出され、多くが女性だったようです。鎮魂の飾り紐がたくさん重ねられていました。私もワットプノンで結んでもらった吉祥糸をかけてきました。

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Killing Tree と呼ばれている恐ろしい木。この木の幹に幼子の頭を打ち付けて、右側の穴に放り込んだそうです。

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見えづらいですが、ガラスの下にある花びらのような入れ物が、カンボジアでは魂の還ってくる場所といわれる拠所です。線香が供えられ、前の机にはケーキとごはんが置いてあったのですが、さっそくのお客さんです。ずっと緊張をしいられる場所なので、動物たちの自然な姿を見て、むしろホッとしました。

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慰霊塔です。銃弾は高価なので使用されず、農具や工具などで虐殺されており、その痕跡の数々を見ていると、胸が締め付けられます。