誕生おめでとう!ヴッデーイくん。

何度かお世話になったことがある、日本語ガイドのヴッダ・ラモ夫妻の家に行ってきました。アンコール・ワットのすぐ近くです。前々から「僕の家はヤシの葉葺きで。。。」と聞いてはいたのですが、それはまあ日本の「ホンのあばら家で。。。」という意味でしょう、と思っていたのですが、ほんとうにヤシの葉っぱで屋根も壁も作ってあってびっくりしました。

f:id:natsume2018:20190217142336j:plain

f:id:natsume2018:20190217142421j:plain

高床式ではなく、まったくの土間にドンドンッ!と柱を立てただけです。今の時期はいいけれど、雨期のスコールが来ればジャジャ漏り、ドロドロでしょうに。。。

f:id:natsume2018:20190217142801j:plain

屋根がブルーシートなので、台所スペースはこんな感じに。

f:id:natsume2018:20190217142638j:plain

裏はマンゴーとバナナの畑。別の人の所有です。

f:id:natsume2018:20190217143358j:plain

f:id:natsume2018:20190217142930j:plain

f:id:natsume2018:20190220192853j:plain

実は、(失礼ながら)こんなに質素なヤシの葉ハウスは今、喜びに溢れてキラキラ輝いているのです。待望の赤ちゃんが産まれて、ちょうど2週間目。名前はヴッデーイくんです。病院で産んで、2日間入院してここに帰ってきたそうです。お父さん似ですね。ちなみにカンボジアでは出産費用は無料です。

f:id:natsume2018:20190217143440j:plain

ヴッデーイくんが首からぶらさげているペンダントは、へその緒、だそうです。いつまで下げているのと聞いたら、特に決まりはないとか。

ラモさんはまだ身体が戻らなくてしんどそうでしたが、昨日メールしてみたら、起き上がれるようになったそうです。

f:id:natsume2018:20190220192952j:plain

f:id:natsume2018:20190220193021j:plain

私たちが行ったのは5日前でしたが、ラモさんのご両親がいらしていろいろ面倒を見ていました。今はふたりだけですが、あの時もヴッダさんがとりわけいそいそと、小さなベビー用品を大きなたらいで洗っていた姿が目に浮かびます。それもそのはず、36歳にして初めて授かった赤ちゃんだったのです。

ヴッデーイくん、誕生おめでとう!これからの道のりは気が遠くなるほど長いけれど、優しいパパとママとみんなに愛されて、健やかに成長され、幸せな人生が送れますように!

f:id:natsume2018:20190218101906j:plain

f:id:natsume2018:20190218101942j:plain

※おまけ 隣のネコですが、初対面の私にずりずりすり寄ってきてびっくりしました。カンボジアでは初めての経験です。よく肥っているし、きっと飼い主さんが大切に育てているのでしょうね。

ニャンコ、あんたも幸せにね。
 

 

本日のマンゴーツリー 2/17

f:id:natsume2018:20190217112829j:plain

f:id:natsume2018:20190217112726j:plain

どうやらマンゴーというのは、日本で普通に考えるように、いっせいに実がなっていっせいに熟す、という樹ではないようです。ものすごくバラツキがあって、すでに食べられそうなものから赤ちゃんマンゴーまで、それどころか、これから開花しそうな房までごちゃごちゃに混じっているのです。

この辺りでは、だいたいどの家の門前にも1本植えてあって、それらももうたわわに実っているのから、満開の花房までいろいろなのです。

考えてみれば、日本のような季節の変化がないし、年中同じような気候なので、季節に合わせて植物が成長してゆくというのもあまり関係がないのかも。

今度セイハーが来たら、食べられそうなのを少し落としてもらおうと思っています。

なぜって?きのう朝、隣に住んでいる中国人のおばちゃんが、棒でたたいて落としていたんですよねぇ~。。。あとの掃除はもちろん私がやりました。

 

田植え

ルート6を走っていたら、田植えをしている光景に出会い、さっそく車を停めてもらいました。この地方は現在は二期作が多いのですが、かつて三期作のところもあったらしく、また水がとれないので、一期作しかやれない、あるいは今はもう作っていない、という所もあります。

カンボジアの米はアジア地域ではおいしいという評判で、実際私自身、タイやベトナム、中国の米よりずっとおいしいと思います。冷たくなってからも粘りがあって、そのままで食べられます。もっとも私はいつも市場でいちばん高いジャスミンライスを買っています。ほのかな香りがします。もちろん日本とは違う長粒米です。

f:id:natsume2018:20190215180145j:plain

道路わきすぐから田んぼが広がっていました。これはバッファローです。ロープで繋がれていましたが、怒ったらそんなものはすぐに引きちぎってしまうので、これ以上近づいたら危険です。ちょっとそんな雰囲気で睨まれてしまいました。

f:id:natsume2018:20190215180410j:plain

f:id:natsume2018:20190215180448j:plain

こっちは牛さん。おとなしいですが、やっぱりあまり近づいちゃダメ。

f:id:natsume2018:20190215180754j:plain

この区画は苗を作っているところで、その収穫作業をしていました。

f:id:natsume2018:20190215180950j:plain

f:id:natsume2018:20190215181024j:plain

日本と比べると、ずいぶん大きくなってから植え替えるように思います。日本の苗はもっと短いですよね。いろいろ直接聞いてみたいことは山のようにありますが、常に言葉の問題がネックです。何か聞いたら快く答えてくれそうなおじさんでした。「ヒルがいるぞ~っ」と手に持って見せてくれましたが、こんな短パンで大丈夫なんでしょうか?

f:id:natsume2018:20190215181707j:plain

向こうの方で田植えをしている人たちが見えたので、近づいてみました。実は、これがなかなか大変なのです。あぜ道が日本のように固くきっちりとしていないので、足元を見ながら慎重によろよろと近づきます。

f:id:natsume2018:20190215181939j:plain

若い女性がふたり、黙々と稲を植えていました。この姿勢で何時間も労働することの辛さはいかばかりかと、この歳まで農作業の経験のない私は、思わず申し訳ないような気分になりました。

同行の友人から、「そんな聞きづらいことよく聞くね」といわれましたが、中国暮らしが長かったせいもあり、気になることは即知りたいタイプなので、同行のカンボジア人を介してすぐに聞いてみました。

朝6時から昼休みを挟んで日没までで、賃金はひとり5ドルだそうです。家族の年収はいくらくらいか聞いたのですが、具体的な数字はなく、食べるものは自給できるので、なんとか暮らしてはいけるそうです。

とにかくこの間、私はカンボジアでも最も豊かな部分しか見ていません。ルート6沿いの農家ならば、出稼ぎにも行きやすいでしょうし、農地の資産価値もあるものと思われます。しかし、もっと山の中、電気も通っていないような所にもたくさん人は住んでいるはず。そういう所で村人たちがどんな暮らしをしているのか、私は自分の目で見たいです。

 

 

 

コンポンクディの橋

ちょうど1週間前になりますが、サンボー・プレイ・クックに行ってきました。その途中、シェムリアップからプノンペンの方にルート6を走って1時間ほどすると、コンポンクディという村を通ります。この辺りにアンコール時代の橋の遺構がぽつぽつ残っていることは、以前から知っていました。バスの中からチラッと見えるからです。

f:id:natsume2018:20190203231745j:plain

f:id:natsume2018:20190203231830j:plain

今回は車だったので途中下車してみました。何の説明版もないのですが、間違いなく古代の橋です。今も村人たちが普通に行き来しているようで、橋の向こう側には緑の田んぼが遥かに見渡せました。雨期にはこの橋桁の間を轟々と水が流れるはずです。

そのうちにセイハーが、この先にもっと大きなものがあったはずだというので、もう少し車を走らせてみました。

するとしばらく行った先に目立たない表示があって、ルート6から400mくらい入ったところに遺構が残っていると、イラスト入りで書いてあったのです。シェムリアップ方向からしか見えない看板です。

f:id:natsume2018:20190203232219j:plain

f:id:natsume2018:20190203232257j:plain

f:id:natsume2018:20190203232329j:plain

それがこの橋です。ここには説明版があって、全長86m、道幅16m、川床からの高さが10mとありました。建造時期ははっきりしないけれど、バイヨン形式といわれる建て方から、1181年~1220年の間に建てられたものと考えられるそうです。

その後1925年にフランスによって、1965-67年に当時のカンボジア政府によって、6号線工事に伴って補修が行われています。22か所にあった遺構のうち、11か所はこの工事の時に破壊されたそうです。

ここに限らないのですが、遺跡、遺構の保存に関しては、なんだかとてもいい加減というか、それどころではなかったというか、技術も外国に頼らざるを得なかったでしょうし、今も乱雑に放置されているものがあちこちで目につきます。

f:id:natsume2018:20190203235213j:plain 

 

f:id:natsume2018:20190203235103j:plain

蛇の神様ナーガと欄干はその胴体です。昔は鱗が彫りこまれていたのでしょうね。この橋ももちろん生活道路として現在も使われています。

一緒に行った友人が、橋の幅がえらく広い道路だよね、といっていましたが、この道はかつて、クメールの王たちが、おそらくは象に乗って通ったのではないでしょうか?その威風堂々の絵巻をイメージしながら、テラコッタの赤い砂塵にまみれて、ゆっくりとコンポンクディの橋を渡ってみました。

 

 

makro スーパーマーケット

f:id:natsume2018:20190203115942j:plain

f:id:natsume2018:20190203120020j:plain

日本資本の新しいスーパーがオープンしたよ、というので行ってきました。AEONがいよいよこの地にまで進出してきたのかと思ったのですが、名前が違います。セイハーは、テレビのニュースでいっていたから間違いないというのですが、一歩中に入ると、どうも雰囲気が違います。それで店員に聞いてみたら、タイ資本だということでした。

f:id:natsume2018:20190203131451j:plain

f:id:natsume2018:20190203120157j:plain

f:id:natsume2018:20190203120225j:plain

f:id:natsume2018:20190203120259j:plain

ものすごく天井が高くて広々としたスペースに山盛りの商品でした。ひとつずつの小売りもやっていますが、なんていうか、レストランとか商売をやっている人向けみたいな感じで、大根も10本ほど、生姜も一袋2キロくらいのパック入りでした。

家電はほんの少々の扱いで、日本製は見られなくて、タイ製、韓国製のものが多いようでした。

雑貨品は、タイのおとくいとするところで、プラスチック製品と鍋・フライパン・食器の類が、これまた山積みで、在庫商品はフォークリフトで上の方に積み上げていました。

ビールも当然ケース売り、カンボジアよりタイのビールが多かったのですが、私はぐっとこらえて買いませんでした。せっかく控えようと思っているのに、こんなもの買っても1週間はもたないです。

(雑貨の写真撮り損ねました)

f:id:natsume2018:20190203124817j:plain

f:id:natsume2018:20190203124857j:plain

凄かったのが魚売り場。日本のように、チマチマと切り身にして売る、というのはなくて、ど~んと1本売りです。表示されている値段は、キロあたりのリエルで、4000リエルで1ドルです。

f:id:natsume2018:20190203125334j:plain

f:id:natsume2018:20190203125353j:plain

生け簀のアラスカキングクラブがキロ当たり135ドル。セイハーが持ち上げて、これは3キロくらいあるといっていましたが、5万円近くするということですね。ホテルか高級レストランが購入するのでしょうが、一般庶民の月収をはるかに超えています。

でも、セイハーはこんなことして足がちぎれたらどうするんでしょう?私、知らんぷりして逃げますよ。

このスーパーは中心部からはかなり離れていて、車で20分、ラッシュ時にはもっとかかります。アンコールワットに行く途中にあって車がないと行けないところです。やはり、ホテル・レストランがメインターゲットなのでしょう。もちろん個人のお客さんも多いと思います。車を持っている人はどんどん増えてきているのです。

私が普段よくいく、Angkor Market は街中にあって、ものすごく繁盛しています。ここは中華資本で、空港に行く途中なので、中国人の団体バスがひっきりなしに出入りして、土産物などを買ってゆきます。同時に、近隣に居住している外国人及び華僑系の客が日常的に利用していて、実はクメール人の姿というのはほんとうに少ないのです。1,2割といったところでしょうか?

ところが、昨日は、外国人の姿を見ることはありませんでした。また、いわゆる“業者”的な人ではなく、ごく普通のカンボジア人の姿がほとんどだったのです。私はこれにちょっと驚きました。プノンペンではなく、こんな田舎町のシェムリアップでも、観光産業という特殊性はあるものの、これだけの購買力があるのかと。

もちろん、農村部とは比べるべくもなく、私がこれまで見て来たカンボジアというのも、そのもっとも豊かな部分だけです。1人当たりGDPでいうなら、日本の1/20以下で、しかも電気代も水道代も家電製品も車も日本より高く、日本の100均ショップで売られている商品がそのまま2倍で売られているこの国。

私たち普通の外国人は見ることができない世界で、農民たちはどんな暮らしをしているのか?確実に豊かになってきている都市部の人たちとの格差は一方的に広がっているだけなのか?山積みの商品の陰で思いを巡らせたスーパーマーケット巡りではありました。

 




 

網を打つひとートンレサップ川

プノン・クロムの麓に広がるチョンクニアに、また行ってきました。

f:id:natsume2018:20190202163618j:plain
先回行った時には、土台のボートだけだったのですが、工事は順調に進んでいるようでした。小学校の校舎になります。

f:id:natsume2018:20190202163652j:plain

f:id:natsume2018:20190202163726j:plain
こんなポリタンクも家の土台にするんでしょうね。この村のほとんどがフローティングハウスになっています。

f:id:natsume2018:20190202164002j:plain

f:id:natsume2018:20190202164043j:plain

トンレサップ川で網を打っている人の姿が両岸に何人か。見ていると、ゴミを拾ってくることも多かったですね。小さな魚で大した収穫ではなさそうでしたが、それでもひとつの家族の食卓を満たすには充分なのでしょう。

f:id:natsume2018:20190202164938j:plain

いつ行っても変化がある、プノン・クロムの上から見るこの風景が、私は大好きです。この緑の田んぼは、3月末から4月に刈り取られるそうです。

f:id:natsume2018:20190202165103j:plain

頂上にはお寺がありますが、参拝客の姿を見たことはありません。ネコと犬はいます。

 

おすすめの TEMPLE COFFEE

カンボジアはとてもカフェの多いところです。あまり知られていないのですが、モンドルキリ、パイリンというコーヒー豆の産地もあります。特に世界の観光客を擁するシェムリアップでは、ハッとするようなオシャレな店から、露天にプラスチック椅子を並べただけのものまで、至る所カフェだらけです。

f:id:natsume2018:20190202012841j:plain 

特に TEMPLE COFFEE はこの街でも有名で、私も以前2回ほどコーヒーを飲んだことがあります。広い店内の片隅に無造作に置かれたアンティックがなかなかの凝りようで、ゆったりとしたソファーに身を沈めてぼんやり物思いなどにふけるにはいいところです。

f:id:natsume2018:20190202013704j:plain

今回、友人とセイハーと3人で入ったのですが、1階の椅子席が空いてなくて、2階へ案内されました。初めての2階です。

f:id:natsume2018:20190202013828j:plain

そしたら、2階は椅子席ではなく、すべてベッド式になっていて、

f:id:natsume2018:20190202014012j:plain

こんな感じでまったりできるのです。

f:id:natsume2018:20190202014147j:plain

なつかしのベスパも置いてありました。どっから手に入れたんでしょうね?

f:id:natsume2018:20190202014308j:plain

f:id:natsume2018:20190202014349j:plain

ドリンク類の種類もとても多いのですが、食事メニューがレストラン並みに豊富で、味も良かったです。上の写真はクロコダイルの炒めもの、下は焼ソーメンです。いずれも4ドルくらいで、ローカル食堂とあまり変わらない値段です。1等地にこれだけのスペースをとってこの値段というのは、日本では考えられないです。今回はここで2時間ほどゴロリと寝そべって、心身共にゆったりできました。

場所は、オールドマーケットからシェムリアップ川を渡って、北へ200mほど。若い人に聞けばだいたい誰でも知っていると思います。ぜひともお2階へどうぞ!



 

 

ビザ切れサイゴン

月に一度の“海外旅行”もいい加減イヤになっていますが、今回もまたビザ切れサイゴンです。

日本からやってくる友人とホーチミンで合流することになっていて、19日にシェムリアップ空港を発ちました。15時間くらいかかるバスは、さすがにしんどくなったのです。

f:id:natsume2018:20190123131219j:plain

f:id:natsume2018:20190123131257j:plain

今は1年で一番過ごしやすい、観光シーズンのピークで、たくさんの旅行客で賑わっていました。ホーチミンまでは1時間ちょっとです。

f:id:natsume2018:20190123132726j:plain

コロニアル建築で有名なマジェスティックホテル。1925年に華僑資本の手で建築されたそうです。ここのロビーのステンドグラスがとてもきれいで、私はサイゴンに来ると、“ひと休み”する為に訪れます。ベトナム戦争時代に駐在していた開高健もここにいたそうで、彼の写真が飾ってある控室のような部屋も、フロントの隣にあります。おととし、知り合いがここに泊ったので、部屋の中も見せてもらいましたが、さすがに格調高い調度品の数々でした。日本人が泊まりたがるのもなるほどです。

以前、クアラルンプールでも、マジェスティックホテルというのを見ましたが、ここも華僑資本と聞いたので、元々同系列なんでしょうか?こちらは、新館と旧館と別れていて、旧館の方は絵に描いたようなコロニアルな“白亜の殿堂”でした。

もちろん、私がお勧めするのはマジェスティックホテルでのご宿泊ではありません。今回友人と一緒だったので、たまには贅沢なところで、とコーヒーを飲むことにしました。1階のカフェで聞いてみると、そこはアフタヌーンティー専門になっているので、コーヒーだけなら8階へどうぞ、といわれたのです。

f:id:natsume2018:20190123134043j:plain

f:id:natsume2018:20190123134103j:plain

f:id:natsume2018:20190123134118j:plain

いわれるままにエレベーターで上がってみると、そこには大きなオープンカフェがあって、目の下にサイゴン川の光景がなだらかに広がっていたのです。この日はちょうど曇り空で、きつい日差しもなく、心地よい風が吹きわたり、実に快適な時間を過ごすことができました。昼間だったのでお客さんも数組だけで、オープンなのでタバコも吸い放題。私もたまにはこういう贅沢をしなければ、と心に誓ったものでした。

ちなみに、コーヒーもビールもジュース類も、1杯1000円ほど。ウイスキーやワインなどは高級品を揃えていました。ここは夜こそ泊り客などで賑わうところだと思います。

f:id:natsume2018:20190123140222j:plain

f:id:natsume2018:20190123140259j:plain

今回はベトナム初訪問の友人と一緒だったので、ホーチミンで3泊し、翌朝、バスでカンボジアに向かいました。ホーチミンから国境までは普通は2時間ほどで着くのですが、ものすごい渋滞で、なかなか車が進みません。国境までは一直線で、大型トラックが目立ちます。

途中、こんなふうに事故ってましたね、どうりで。

f:id:natsume2018:20190123140441j:plain

ベトナムのイミグレーション。

f:id:natsume2018:20190123140520j:plain

この、紅白のバーが設置されていることろが、ベトナムとカンボジアの国境です。

f:id:natsume2018:20190123140634j:plain

カンボジアのイミグレーション。

ここから同じバスに再度乗って、プノンペンまで3時間ほど。国境越えには通関業務などがあるので、およそ7時間ほどがかかります。ド派手な喧噪の街サイゴンから、急に田舎っぽくなるプノンペンチャムカーモン(トゥールスレンがある地区)に到着し、しみじみ自分の家に帰って来たような気になりました。